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パテックフィリップは腕時計の貴公子、パテックフィリップは身にまとう人に品位と風格を求める時計です。 |
パテック
フィリップの真髄 |
パテックフィリップは腕時計の貴公子ともいえる優雅さとともに、その由緒正しい風格をも兼ね備えています。パテックフィリップという時計が身に着ける人を選ぶのです。
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パテックフィリップの歩み |
18世紀の末、大部分がロシアの圧政下にあったポーランドがパテック フィリップの歴史の発祥の地となります。
1830年にポーランド軍が反乱を起こし、ワルシャワにあったポーランド副王の宮殿を将校の一団が占拠しましたが、最後には制圧され、弾圧を受けた多数のポーランド人は西ヨーロッパに亡命することを余儀なくされました。
1812年7月12日ポーランドに生まれたアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、勲章をポーランド将校として得ましたが、亡命後は、亡命者団体間の連絡のために各国を回ります。
その後、1835年頃からジュネーブに居を定めます。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、時計と美術に深く関心をもち高級懐中時計の製作にたずさわるようになります。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、何よりも製品の品質を重視したため、これが多くの顧客を獲得することとなります。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、製品の大きな成功に勇気づけられ同じポーランド移民で有能な時計師のフランソワ・チャペックと共同で最初の会社、《パテックチャペック社》を1839年5月1日に設立しました。
パテックチャペック社は、6名の工員を抱え高品質な懐中時計を年間約200個、生産していました。
現在まで保存されている希少な当時の製品を見ると、美的な探究と技術的な巧妙さが融合された、まさに、完成された境地に達していたことが分かります。
しかし、フランソワ・チャペックは6年後、社を退きます。
ジャン-アドリアン・フィリップは、1815年、時計師の息子としてフランスに生まれた、発明の才能にあふれた技術者でした。
弱冠21歳にして自ら工房を開き、懐中時計を年間150個、生産します。 竜頭による巻上げ・時刻合わせの機構を1847年、27歳の時に発明します。
ジャン-アドリアン・フィリップは、この発明を組込んだ製品を売り出し、大きな販売実績を上げることを計画していましたが、2年後にアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックと巡り合い彼の人生の転機がおとずれました。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは1844年、パリでジャン-アドリアン・フィリップに出逢います。
パリで行われていた博覧会にフィリップは自身の発明した革命的な機構を出品していたのです。
直ちに2人は意気投合し、1845年、ジャン-アドリアン・フィリップは《パテック社》(Patek & Cie)の共同経営者になります。
《世界最高の時計をつくる》という社是の下に1851年には、社名を《パテック フィリップ》(Patek Philippe & Cie)と改めます。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとジャン-アドリアン・フィリップの協力が、世界の時計製作を大きく進歩させ歴史にその名を残すこととなったのです。
工業生産は夜明けを時代は告げていました。 ジャン-アドリアン・フィリップによって、時計生産の方法を一新され、機械化が押し進められます。
最初のミニット・リピーター付懐中時計を1845年に製作しています。
そしてアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは社の発展には国際的な知名度も重要であると考え、ロンドンのクリスタル・パレスで1851年、最初の万国博覧会が開催され、パテック
フィリップが出品した竜頭巻上げ式の時計は、ヴィクトリア女王をはじめとする、世界各国の指導的地位 にある人々から高い評価を与えられます。
その後パテックはヨーロッパはもちろん、北アメリカに頻繁に赴き、1870年以降は、疲れを知ることなく南アメリカ、中国にも赴いて市場を開拓します。
1867年、パテック
フィリップはパリ万国博覧会に革新的な複雑機能を搭載したタイムピースを出品し、これらの技術がやがてコンプリケーテッド・ウォッチにおけるパテック フィリップの地位
を揺るぎない礎となります。
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パテックフィリップの愛用者 |
1851年、ヴィクトリア女王が竜頭巻上げ・時刻合わせ式18金ペンダント・ウォッチを購入。
1877年、ピュートル・イリッチ・チャイコフスキーがルイ十五世スタイルのクォーター・リピーター付懐中時計を購入。
1895年頃、マリー・キューリーがジュネーブ芸術教会からペンダント・ウォッチを授与される。
1915年、アルベルト・アインシュタインが相対性理論を発表、超薄型の懐中時計を購入。
この懐中時計は、眼の弱いアインシュタインのために特に太い書体の数字アワーマーカーが用いられています。
急速な発展し続けるパテック フィリップは奢ることなく、創業者の2人は《世界最高の時計をつくる》という社是を片時も忘れることはなく前進していきます。
パテック フィリップは1868年、ハンガリーのコスコヴィッチ伯爵婦人のためにスイス最初の腕時計を製作します。
以後、パテック フィリップの創造性は、世界中の女性たちを魅了していきます。
1877年、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックの死去にともない、ジャン-アドリアン・フィリップはただ一人の経営者として理想を追求して行くことになります。
1889年、パテック フィリップは永久カレンダー機構の特許を取得します。 この機構は月毎の月末、4年に一度の閏年も自動的に判別して日付けを表示するメカニズムです。
1891年1月、ジャン-アドリアン・フィリップは社の経営を息子のジョセフ-エミールに譲り、その後パテック
フィリップはさらに発展し、現在に至ります。
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パテックフィリップ 受け継がれるもの |
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パテック フィリップの製品は“親から子へ”というコンセプトの元に製作されています。それは代々受け継がれていく家具や食器等といった実用的な工芸品のひとつと考えているからです。
パテック
フィリップの時計は「ひとつひとつの歯車を研摩して」という工程がクローズアップされることが多いですが、「歯車を研摩する」という作業には、大きく2つの意味があります。ひとつは見た目に美しいということ。もうひとつには、一つ一つの部品を研摩することによって、部品同士の磨耗を最小限にとどめることができるという事です。この部品同士の磨耗を最小限にとどめるということが、100年か、それ以上の長い期間、代々受け継いで行くということに繋がっているのです。
定期的なメンテナンスさえ心懸ければ、160年以上も昔に製作されたパテック フィリップの時計は、今も完璧に動き続けます。
機能的な要求に基づき、スチール部品の縁に施された面 取り(45度に角度をつけること)、歯車の中心部に設けられたくり形面
、カナ歯車のポリッシュ仕上げされた歯車などは、美しさを増し、また、性能的にも摩擦を減少させ、潤滑油の働きを最適化し、メカニズムに絶対的な信頼性を与えます。
時計の絶対的な信頼性ということをテーマにパテック フィリップの研究開発部門は、日々、研究し続けています。
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記載の文章は、パテックフィリップ正規取扱店 株式会社リテイラーズ・スフィア社の作成によるホームページ記載の文章を抜粋したものです。
詳しくはこちらをご覧ください。⇒ http://www.pp-sphere.com/ |
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